概要
edit那覇ぬ真和志支所管内んかい位置すん。北部おもろまち(那覇新都心)、東部ー大道、南部ー三原うゆび壺屋、南西部牧志、西部泊とぅ隣接すん。
泊港んかい隣接しうぅい、「脇泊」とぅんゆばっとーたん。また、泊が発展しんじゃるくとぅにゆり、逆んかい安里ー浸食されい、縮小しんじゃんとぅんーだりーる[1]。なう、かちてぃー安里一帯ぬふぶ安里川ぬ河口部でぃあり、現在ぬゆいレール牧志駅近くまでぃ内海とぅなとーたん。
戦前ー農村んかい女学校てぃがろー陸軍施設、とぅ言ちゃる様相でぃあったしが、現在ーゆいレールぬ安里駅ぬあい、基本的んかえー住宅地がちーん、栄町まちぐゎー、栄町社交街が賑わい見しとーん。
他んかい地形うぃーぬ特徴とぅしてぃー、沖縄戦史うぃー、シュガーローフとぅしてぃ著名な安里五二高地ぬあん(現在ぬ住所っしぇーうむるまち)。
栄町
edit現在ぬ住所っし言いるとぅくるぬ那覇市安里東部から、那覇市大道(だいちゃー)んかいまたがいる一帯栄町(さけーまち)とぅ通称しー、「栄町社交街」ないる歓楽街てぃがろー、アーケード備いたん「栄町まちぐゎー」があん。那覇市内やてぃん有数ぬ飲食街でぃあり[2]、2008年時点っし総計150ぬ店舗ぬあんとぅさりーる[3]。
戦前ー沖縄県女子師範学校、沖縄県立第一高等女学校、陸軍墓地などぅがじー占みとーたる一帯でぃあったしが、戦後ぬ自然発生的な闇市経てぃ1949年4月28日んかい民間んかい開放されい、真和志村復興課にゆってぃ区画整理ぬなされい、栄町まちぐゎーぬ開闢。真和志村、次いでぃ真和志市ぬ商業などぅぬ中心地とぅなたん。 21世紀初頭現在、アーケード内ー薄暗くノスタルジックな雰囲気醸し出すん昔ながらぬまちぐゎーとぅなてぃうぅい、すーじぐゎーや入り組でぃうぅいいっぺー複雑。また、21世紀初頭に至てぃん老舗ぬうふくんーだられい、ふぃーじゃーしし店、ホステスぬ年齢層が異常に高さるスナックなどぅ、昭和ぬ雰囲気醸し出ちょーん。
まちや経営者ぬ高齢化などぅんあい、一時期過疎化が危ぶまったんしが、しでぃに閉店さる店舗ちかてぃイベントうくなたい新たな飲食店ふぃらちゅんなどぅぬ企画ぬふか、地域ぬ年配いなぐあちみてぃくだん「うぅばまーぁラッパーズ」がCD作成すんなどぅ[4]、21世紀初頭現在、世代くぃーたる積極的な町うくしが試みらっとーん。すぬ他「栄町音頭」ないる楽曲んCD化さりてぃうぅい、くれー栄町ぬ成立などぅ歌たしとぅなとーる[5]。
また、ひめゆり部隊ぬ3割第一高等女学校しーとぅぬ占みとーたるくとぅでぃ、まちぐゎー内んかえー「ふぃみゆり同窓会」ぬ看板んんーだりーる[6]。
社交街にういてぃー間口ぬいばさん「旅館」が密集そーんしが、くれー宿泊施設っしぇーなく性風俗施設、ちょんぬ間でぃある。夜間んかえーうぬ店ぬ前っしふぇーじゅりぬゆび込みうくなとーん。参考文献んかえーいなぐぬ年代ー30代後半から50代半ば、文献にゆってぃー60代とぅんとぅみらっとーる[7]。